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ウェット・ドライ ドールとの接し方

対ドールに対しての接し方・考え方。
下記長いです。

個人的に、ドールオーナーを「ウエット/ドライ」に分ける基準は「ドールと会話しているか/していないか」だと思ってまいす。
なので、自分はどこまでもウエットなオーナーなんだろうなぁと思うわけですが、声を大にして「ウエットです!」と主張できない部分もあるのです。

一部のウエットオーナーさんに見られる「店頭で目があった、○○ちゃんをお迎えした。私は○○ちゃんに選ばれてオーナーになった。」という思想。
そして、ドールに対する人間のような人格化。
「観用少女」という漫画の「心を許したものにしか笑顔を見せない生きているお人形。お金を払ってもオーナーになれない。そのお人形によって「選ばれた」者にしかオーナーになる権限が無い。という設定がそのまま現実になっている事実。

私には、これが全くありません。
物は使い込めば魂が宿るといいますし、八百万の神とか昔から言われているわけで、ドールに意思が宿る・魂が宿ると言うのは否定しませんし、寧ろ素敵だと思ってます。
ですが、ドールはドールでしか無いのです。
自分で好きな造形を選んでお金を払って手に入れている時点で「私の所有物」であり、私に全ての権限があるのです。
その代わり対物である以上、全ての行動は私からの一方通行でしかなくて反応なんて返ってこない。それが当たり前。というか、そうでないと困る。
反応が返ってこない代わりに、自分のした事を否定される事もなく、嫌われる事も無い。そんな安心感と心地良さ。
これが、私にとってのドールです。

私がドールとの会話をブログに載せる時、実際に会話してるつもりはありません。
オリジナルの小説を書いている感覚でしょうか。
オリジナルキャラクターであるドールと、自分をかたどったキャラクターの物語を写真(挿絵)に沿って作っている感じです。

なので、ドールを連れ歩く際に「鞄に詰められて苦しそう」ではなく「鞄に詰めて痛まないかな」になるのです。

まぁ、会話として・日記の文章として楽しいので「ドールが苦しそう」とか「楽しそう」とか言いますが、それら全ては単なる妄想(ネタ)として発言しています。
そもそも、私は携帯電話ですら擬人化して会話できるタイプです。
 
私の思う本当の「ウエット」なオーナー様を否定するつもりはありませんし、寧ろそんな風に物を扱えるっていうのは素敵な事だと思います。
だからこそ、自分みたいな覚めた考え方をしながら「自分はウエットです」と名乗る事の方が失礼な気がしてしまうのです。

以上、私のドールに対する立ち位置のお話でした。


この記事はこちらのブログ記事を読んだ後に書いています。
考え方として共感できる部分があり、文章などかなりの影響を受けていると思います。
また、漫画の例など一部文章を引用させていただきました。ありがとうございます!

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