ハローマイディア
球体関節人形に関するブログです。
外国産ドール、人外ドール、動物ドールなど出てきます。
ガラスの眼球・ドールに嫌悪感を抱く方の閲覧はお控えください。
京
名前:京(けい)
誕生日:2011.01.25.
タイプ:MSD F-18
名前の由来:漢字文化圏における数の単位の一つ。現在の日本では10の16乗となっている。
お迎え前から名前には漢字を充てたいと思っていました。
お迎え当日、顔を見ながら万・億・兆・・・と数の単位を呟いてピンと来たものをそのまま。
その他:12月9日に福岡すみかにてオーダーの年をまたいで2月25日お迎え。待ち期間47日。
我が家で一番アイとウィッグの変更の多い子。
お迎え当初、すごく薄い色のアイをつけていたためキツめの顔をしており、事あるごとに「京ちゃん怖っ(褒め言葉)」と言われていたかわいそうな子。
だんだんと柔らかい表情をしてくれるようになりました。
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トワーズ
名前:トワーズ(とわーず)
誕生日:2010.11.21.
タイプ:LUTS Zuzu Delf PERSI DREAMING - SUCCUBUS Limited
名前の由来:かつてフランス語圏で用いられていた長さの単位。
トワーズ(フランス語)・尋(日本語)・ファゾム(英語)と同じ長さを表す。
その他:10月28日に公式サイト(日本語)にてオーダー。11月21日に到着。待ち期間24日。
ツンツンツンツン!でデレのない子。他のズズの女の子と会うと刺々しさの増すワガママ王女様。
男の子は私にひれ伏すのが当然でしょ?と真顔で言えちゃう子。
お迎えから1年たってもウィッグで迷走中。デフォが一番似合うけど、変えたいんだ・・・!
ファゾム
クローネ
ウェット・ドライ ドールとの接し方
対ドールに対しての接し方・考え方。
下記長いです。
個人的に、ドールオーナーを「ウエット/ドライ」に分ける基準は「ドールと会話しているか/していないか」だと思ってまいす。
なので、自分はどこまでもウエットなオーナーなんだろうなぁと思うわけですが、声を大にして「ウエットです!」と主張できない部分もあるのです。
一部のウエットオーナーさんに見られる「店頭で目があった、○○ちゃんをお迎えした。私は○○ちゃんに選ばれてオーナーになった。」という思想。
そして、ドールに対する人間のような人格化。
「観用少女」という漫画の「心を許したものにしか笑顔を見せない生きているお人形。お金を払ってもオーナーになれない。そのお人形によって「選ばれた」者にしかオーナーになる権限が無い。という設定がそのまま現実になっている事実。
私には、これが全くありません。
物は使い込めば魂が宿るといいますし、八百万の神とか昔から言われているわけで、ドールに意思が宿る・魂が宿ると言うのは否定しませんし、寧ろ素敵だと思ってます。
ですが、ドールはドールでしか無いのです。
自分で好きな造形を選んでお金を払って手に入れている時点で「私の所有物」であり、私に全ての権限があるのです。
その代わり対物である以上、全ての行動は私からの一方通行でしかなくて反応なんて返ってこない。それが当たり前。というか、そうでないと困る。
反応が返ってこない代わりに、自分のした事を否定される事もなく、嫌われる事も無い。そんな安心感と心地良さ。
これが、私にとってのドールです。
私がドールとの会話をブログに載せる時、実際に会話してるつもりはありません。
オリジナルの小説を書いている感覚でしょうか。
オリジナルキャラクターであるドールと、自分をかたどったキャラクターの物語を写真(挿絵)に沿って作っている感じです。
なので、ドールを連れ歩く際に「鞄に詰められて苦しそう」ではなく「鞄に詰めて痛まないかな」になるのです。
まぁ、会話として・日記の文章として楽しいので「ドールが苦しそう」とか「楽しそう」とか言いますが、それら全ては単なる妄想(ネタ)として発言しています。
そもそも、私は携帯電話ですら擬人化して会話できるタイプです。
私の思う本当の「ウエット」なオーナー様を否定するつもりはありませんし、寧ろそんな風に物を扱えるっていうのは素敵な事だと思います。
だからこそ、自分みたいな覚めた考え方をしながら「自分はウエットです」と名乗る事の方が失礼な気がしてしまうのです。
以上、私のドールに対する立ち位置のお話でした。
この記事はこちらのブログ記事を読んだ後に書いています。
考え方として共感できる部分があり、文章などかなりの影響を受けていると思います。
また、漫画の例など一部文章を引用させていただきました。ありがとうございます!
下記長いです。
個人的に、ドールオーナーを「ウエット/ドライ」に分ける基準は「ドールと会話しているか/していないか」だと思ってまいす。
なので、自分はどこまでもウエットなオーナーなんだろうなぁと思うわけですが、声を大にして「ウエットです!」と主張できない部分もあるのです。
一部のウエットオーナーさんに見られる「店頭で目があった、○○ちゃんをお迎えした。私は○○ちゃんに選ばれてオーナーになった。」という思想。
そして、ドールに対する人間のような人格化。
「観用少女」という漫画の「心を許したものにしか笑顔を見せない生きているお人形。お金を払ってもオーナーになれない。そのお人形によって「選ばれた」者にしかオーナーになる権限が無い。という設定がそのまま現実になっている事実。
私には、これが全くありません。
物は使い込めば魂が宿るといいますし、八百万の神とか昔から言われているわけで、ドールに意思が宿る・魂が宿ると言うのは否定しませんし、寧ろ素敵だと思ってます。
ですが、ドールはドールでしか無いのです。
自分で好きな造形を選んでお金を払って手に入れている時点で「私の所有物」であり、私に全ての権限があるのです。
その代わり対物である以上、全ての行動は私からの一方通行でしかなくて反応なんて返ってこない。それが当たり前。というか、そうでないと困る。
反応が返ってこない代わりに、自分のした事を否定される事もなく、嫌われる事も無い。そんな安心感と心地良さ。
これが、私にとってのドールです。
私がドールとの会話をブログに載せる時、実際に会話してるつもりはありません。
オリジナルの小説を書いている感覚でしょうか。
オリジナルキャラクターであるドールと、自分をかたどったキャラクターの物語を写真(挿絵)に沿って作っている感じです。
なので、ドールを連れ歩く際に「鞄に詰められて苦しそう」ではなく「鞄に詰めて痛まないかな」になるのです。
まぁ、会話として・日記の文章として楽しいので「ドールが苦しそう」とか「楽しそう」とか言いますが、それら全ては単なる妄想(ネタ)として発言しています。
そもそも、私は携帯電話ですら擬人化して会話できるタイプです。
私の思う本当の「ウエット」なオーナー様を否定するつもりはありませんし、寧ろそんな風に物を扱えるっていうのは素敵な事だと思います。
だからこそ、自分みたいな覚めた考え方をしながら「自分はウエットです」と名乗る事の方が失礼な気がしてしまうのです。
以上、私のドールに対する立ち位置のお話でした。
この記事はこちらのブログ記事を読んだ後に書いています。
考え方として共感できる部分があり、文章などかなりの影響を受けていると思います。
また、漫画の例など一部文章を引用させていただきました。ありがとうございます!
翊斗
誕生日:2010.03.11.
タイプ:MSD F-18
名前の由来:
国際単位系(SI)における単位量の一つで、10-24乗。SIにおいての最小単位。
表記は 「y」
単位表記において、漢字文化圏ではこの数を「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」と表記し、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は静やかな安らぎの境地(寂静)であるということをさす。
つまりは、私にとっての静やかな安らぎの境地になればいいなと。
漢字は、顔見て直感で充てています。
その他:
1月29日福岡すみかにてオーダーの3月11日お迎え。待ち期間41日。
ヘタレ、強がり、ツンデレ、猫気質、小さい女の子好き、カッコつけたがり。
プロフィール
HN:
ユイ
性別:
女性